赤ちゃんに飲ませる「白湯」

赤ちゃんに飲ませる「白湯」は茶葉を入れない沸かし湯のことなのですが、若いヒトには「白湯スープ」と勘違いされがちです。

「日向水」はたらいに入れた水を半日がかりで太陽熱でぬるま湯にしたもの。

子ども用の夏の行水に使いました。

いま育児書からはこれらの記載が消え、ミネラルウオーターや給湯器の言葉がとってかわっています。

日本の水は良質だから飲用でも水道水で十分なのに、わざわざお金を出して買う時代になったようです。

冬の暖房器具に湯たんぽを使い、そのお湯が翌朝の洗面用のお湯になっていたのはおそらく団塊の世代あたりまででしょう。

十代のにきびに悩まされ、せっけんがよく泡だち、毛穴がよくあいて奥まで洗えるぬるま湯の気持ちよさ、ありがたさが身にしみたものです。

洗面器に白々と浮く石鹸カスに、せめてもう1杯のお湯がほしいと切望していたことが意外と早く実現したのが嬉しかったのでしょう。

ジュニア世代に「朝シャン」なる奇習が発生し、定着しても止めませんでした。

頭の片隅でメーターがあがるのを知りながらもったいないと言えず、清潔でいいことだとすり替えたまやかしがそもそもの失敗。

おかげで昔から伝わってきた「もったいない」の発想を「ケチ」と混同させてしまいました。

シニア結婚

「ちゃぶ台文化」を復活すべき

「食事のしつけ」といえば洋食の「テーブルマナー」を思い浮かべる熟年世代は幼少期に「ちゃぶ台文化」がしっかり根付いています。

「迷い箸をするな」「自分で食べられると思う分だけ盛りなさい」「作った人に失礼だから残してはいけない」など、いまどきの「ビユッフェ」の席で
そのまま若者たちに言ってやりたいセリフを毎食、大人たちから日常的に聞かされてシツケられていました。

いま思えば、子どもの食事の時間に大人がいっしょにいた、それだけ時間の流れがゆったりしていたような気もします。

団塊シニアのしでかした失敗は時間に追いかけられて各人が「好きなときに好きなものを食べる個食」を容認してしまったことでしょう。

インスタント食品や好きな弁当、ファースト・フードなど、「自分の」胃袋が充足すればOKとしてしまった結果、ジュニア世代が親になったときに食事とは「好き勝手に食べること」になってしまいました。

他人とコミュニケーションをとりながら、相手を気づかう訓練をしつつ、食べる楽しみを味わうということが置き去りになってしまったのです。

家庭の食事はグルメである必要はありません。

ともかく子どもと大人がいっしょに食べることを最優先しましょう。

悪名高き「先割れスプーン」で子どもらに犬食い給食をさせてしまった熟年世代は、反省の心を持って次々世代に「ちゃぶ台文化」を復活すべきです。

熟年結婚