老いの開花

老いに関してはさまざまな固定観念、あるいは偏見、俗説などが入り乱れています。

それらから解放されて、とらわれない偏らない自由な目で自分自身の老いの姿を直接に全体的にとらえること。それを「老いの開花」といいます。

それには老いを現実に生きているシニアが、年齢など構わずにその心眼を自分自身の内に注がねばなりません。

そして老いといわれるものが身体のどこかにあるのではなく、実は老いて生きている自分自身の在り方のすべてがそれなのだということを自覚しなければならなりません。

「老いの開花」とは、このように心身の全体性に、とくに老いを越えて在るものに目ざめること、あるいは老いのいのちそのものに目ざめることだといえます。

人間はどんなに年をとっても、その人固有の性質や能力に多少の変化があっても、本質は依然として人間です。

しかし、老いによるそれらの変化が顕著になると、その変化、とくにそのマイナス面や欠陥面だけが注目され、強調される傾向があるのです。

とくにあらゆることが急激に機械化されていく現代社会では、老いにともなう生産価値や利用価値の減退がとくに重視されます。

そして、それがあたかも人間としての価値や、社会構成員としての適格性を全面的に失う最重要因子であるかのようにとり扱われる傾向をつよめてきました。

シニアの幸福につながる情報を増やそう

シニア層の急増に伴い、老化のマイナス面については、医学、生物学、心理学、社会学、その他の分野からおびただしい情報があふれかえっています。

このため、シニアも若い人も、そのような知識ではこと欠かない状態です。

あるいは、「老化」についてのネガティブな情報が多すぎて、かえって不必要な不安や混乱を招いているかもしれません。

しかし肝心の、シニア自身の内面からの幸福感に役立つものとなると、情報は限られています。

シニアの結婚についても、まだまだ情報が少ないのが現実です。

老いている自分の心の世界、とくにまだ気づいていない自分の中の潜在的な可能性。そういったものにあるがままにとりくみ、イキイキと暮らしていこうというポジティブなムードは、まだまだ社会全体として不十分だと思います。

多くのシニア層が、「もはや不可能」という消極的な自己採点に偏っているように思われます。

漫然と日々を過ごしているシニアと、残されている一日一日の貴重さを見つめて己を生かそうと心がけているシニアとでは、同じ老いでもいのちの価値に違いが生じてきます。

この点をしっかり見つめて、シニア世代の結婚の問題を考えてみたいと思います。

シニア 結婚